「フランク・ブラレイ マスタークラス」を聴いて 荒木淑子

日時:2008年11月18日(火)14:00?17:00
会場:タカギクラヴィア松濤サロン(東京・渋谷)
通訳:黒木梨沙(エコールノルマル音楽院修了・パリ国立高等地方音楽院卒業)
主催:コンセール・パリ・トーキョウ
協力:株式会社ヒラサオフィス

● 吉武 優(東京藝術大学ピアノ専攻4年生)
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第9番D-dur K.311

 第1楽章を演奏後、ブラレイはまず「もっと劇的に表現してもいいのでは?」とアドバイス。モーツァルト作品での「かわいい」や「きれい」は、陥りやすい危険なワナなのだそうだ。同じp記号がついたフレーズでもキャラクターが違えばイメージも違うはず。「ここではどんなキャラクターをイメージしましたか?」「もし左手の伴奏部分が第2ヴァイオリンだったら、音楽的に演奏するためにはどう弾きますか?」と時には自身で演奏しながら、受講生が具体的なイメージを持ちやすいように促した。なかでも「ただ『歌うように』『やさしく』とイメージするのではなく、歌うのは誰なのか?男性なのか?女性なのか?若い女性なのか?おばあさんなのか?と具体的に考えましょう」というブラレイの言葉は新鮮。「イメージする」という言葉の本当の意味が分かったような気がした。
 レッスンは楽章ごとに行なわれたが、どの楽章にも共通していたことは、もしこの曲がオペラだったら?と考えてみること。フレーズごとにオペラのどんな場面かを想像し、そのキャラクターに合う演奏を探るのだ。しかも「初めて主題が出てくる箇所は、オペラでいえば主役が初登場する大事なシーン。そこを目立たせるために、直前のフレーズはオーケストラの序奏をイメージしてシンプルに。序奏からあまり感情込めて弾いてしまうと、せっかくの主役が目立たなくなってしまいますから」と論理的だった。
 また「曲の中で、シンプルに弾くところはどこ?泣かせるところはどこ?一番きれいに弾きたいところはどこ?と探し、その配分を考えましょう」「同じフレーズが2回出てくる箇所は、同じ話を2度繰り返しているということ。そこに何か意味があるから同じ話を繰り返すのです。演奏でも同じ。なぜ同じフレーズを2回演奏するのか、聴いている人がその理由を分かるように、何か変化をつけて弾きましょう」というアドバイスは、どちらもモーツァルト以外の曲にも当てはまる。

● 松葉朋樹(中学3年生)
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタd-moll op.31-2《テンペスト》

 続くベートーヴェンは19世紀ロマン派の音楽。「モーツァルトの作品では登場人物が出てくるたびに音楽が変わるので、クレッシェンドはほとんど出てきませんでしたが」と復習しながら、「ベートーヴェンの曲は一人の人間の感情そのもの。《テンペスト》は『激しさ』や『怖さ』が感じられるソナタです。いっしょにファンタジーを探していきましょう」とレッスンを始めた。
 「第1楽章の出だし“Largo”はミステリアスに特別な感情で。続く“Allegro”では6小節目のスフォルツァンドに向かって大きくクレッシェンドし、頂点のスフォルツァンドは突き刺さる音! ここは後ろからピストルを突きつけられたと想像してみてください」とジェスチャーも交えて会場も驚かせる。怖くなる、心臓がドキドキする、パニックになる、この不安な気持ちはどこまで続くのか?安心できる場所はあるのか?ないのか? こういった感情の移り変わりを、ブラレイは具体的な曲の分析とともに自身の説得力ある演奏で解説した。
 ベートーヴェンの作品では、スフォルツァンドが弱拍にくることが多いこと、休符に大きな役割があることなどが特徴。「休符は単なる休みではなく『無』の意味。例えば大事な話をする前にはちょっと沈黙の時間を作るように、ベートーヴェンでは音符よりも休符が大事なくらいです」と音の無い時間の大切さを強調した。
 特に第3楽章では休符が重要な意味を持つという。「第3楽章は、第1楽章より演奏しやすいかもしれませんが、キャラクターを見つけるのは難しいでしょう。ここでリラックスできるのか、それともまだ怖さが残っているのか?それは演奏者が決めることですが、私は、冒頭の16分音符3つに続く8分音符にスタッカートが付いているので、『やさしい』だけの曲ではないと思います。まだ残っている恐怖心を表現するためには、その次の16分休符がよく聴こえるようにペダルの使い方に注意するとよいでしょう」とペダルで休符を隠してしまわないように注意を促した。

● 江川榛香(中学3年生)
ラヴェル:ソナチネ

 「ラヴェルの《ソナチネ》はソナチネといっても簡単な曲ではなく、デリケートで壊れやすい作品。フランス音楽では18世紀のモーツァルトの曲のように正確さが求められ、音色が大事になってきます」と述べ、レッスン中もブラレイ自身の多彩な音色を存分に聴かせてくれた。
 ブラレイは繊細でヴァリエーション豊かな日本食が大好き。レッスンでも「料理の鍵になるものはピアノでいえば『ペダル』。内声の細かい動きは表に見えてはいけない裏に回る音だが、それでもクリアに聴こえる音質を探さなくてはならない」「曲を弾く前にどんな音色が欲しいのかを考え、自分自身で音色を探すことが大事です。料理の味付けと同じように、どの声部を響かせると欲しい音色になるのかいろいろなさじ加減を試してみてください」「音楽でも料理と同じで、ピリっとくる味が少しだけ入っていると、単なる『きれい』だけではない深い味わいが増します」と、料理に例えた言葉が何度も出てきた。
 ラヴェルの《ソナチネ》第1楽章には、ベートーヴェンの《テンペスト》とは逆に、f記号はほとんど出てこない。しかしその数少ないfについて「11小節目のf記号に向けて徐々に花が開いていくようにクレッシェンドをしていき、頂点のfで花びらが開き切るように。フレーズの終わりは羽がふわっと落ちるイメージで」とあくまで柔らかい音色を求めた。また、「20小節のpppでは、全部の声部を同じように柔らかくしてしまうと一番高い音のメロディしか聴こえない。内声や左手の親指で弾く4分音符を際立たせ、ハーモニーを感じられるように弾いてください」「52小節のff記号のところがこの曲の頂点です。その後あまり早くディミヌエンドしてしまうと、第1楽章最後のppppに行き着く前にもう一度音を強くしなければ最後までもたなくなってしまいます。この曲はpやppの配分が難しい曲です」と熱心にppppの音色を指導した。

 まずはっきりしたイメージをもち、次にそのイメージどおりの音色を自分で見つけてください、というブラレイのレッスン。受講生はいろいろな質問を投げかけられ、演奏することよりも、言葉で自分のイメージを表現することに戸惑ったようだった。
(文責/荒木淑子)

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